京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

説明は口頭か、資料か、どちらがいいのか。

来年度の専門演習(新二年生)の事前ガイダンスを本日開いた。


今は、かつてないほど風邪やインフルエンザが広まっているので、出席者数が心配であったが、まずまずであった。
本来ならばゼミ生全員が同じ日に集まって説明すればいいのだが、休み中になると忙しい学生諸君の日程はまずあわない。24名の細かな日程を聞くだけでも大変なのに、その中で一斉に集まれる日程を探るのはさらに難物。今回の場合には、同一日は不可能だったので、7日と23日に分割した。


両日共に同内容の説明をする必要があるので、配付資料も同じでそれにしたがって、説明しようとした。もっとも、本日の方が風邪で苦しんでいる学生が多いので、資料説明は要点だけにしようと思っていた。違いと言えば、これが一番大きい。

しかし、参加者の雰囲気や理解度は本日の方がいいだろう。これは彼らの顔を見るとよくわかる。ただ、ゼミ生全員に同内容を情報を提供する立場からするとこれは残念である。では、同じ説明をするにはどうすればいいのだろうか?


配付資料は同じなので、省略部分を除けば同じはずである。しかし、違う。受講生の反応は本日の方がよかった。これは本日の受講生の方が特に熱心であったわけではなく比較することはできない。また、受講生の体調は本日の方が悪かったが、これもあまり関係ないようだ。


では、何が関係するのか?
やはり、教師側の説明に違いがあるのだろう。内容は変わらなくても、重点の置き方、説明方法などが違っているからだ。これを改善するためにはどうすればいいのか(もう一点上げるとすれば、はじめてゼミ生が対面したい日であることでアイスブレイクが功を奏したのだが、これはここでは取り上げない)。


説明内容が、大雑把な雰囲気を伝えるのが主目的であれば、口頭でもいいが、すべてを過不足なく話し、また学生側も理解を深めるためには文書で伝えるのが正攻法である。よりわかりやすい文書の作成が望まれているが、これは絶えず望まれ続けることになろう。