京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

いいテキストはかえって難しい?

仕事が遅い私のことなので、依頼されていたことを引き延ばすこともある。もちろん、締め切りが決められている場合には、遅れるとしてもほんの少しに抑えようと思っている。

しかし、締め切りがない仕事はかえってやりにくい。遅れるとさらに焦るが、それがさらに遅れる免罪符となる。実は、この仕事もそのたぐいだった。

ある大学の教育開発センター教員から、その大学で作成したテキスト(教員用、学生用)を評価してほしいとの依頼であった。理由は、この科目を実施したことで学生の学力が向上した結果、さらに講義の質を高める必要ができた。そこで、テキストを改訂したのだが、担当教員からは、テキストが難しすぎて、講義に使えない、とのクレームが出てきたとのこと。筒井は、このクレームをどう思うのかという依頼である。

四月にテキストを送って頂いて、何度か読み通した。
毎回の講義テーマに従って、90分間の中での時間配分と、教員が話すべきポイントの台本が丁寧に書いてあった。例文も例題もあり、実にいいテキストだと思った。そのため、このテキスト度どこか難しいと言われるのだろうか、と疑問に思っていたため、依頼事項に返答ができなかったのである。そのまま時間が過ぎていった。

昨夜、眠れなかったので、起き出してこのテキストを読み直してみた。徹夜明けのようなボーとした頭でこのテキストを読むと、読みにくく、難しいと感じた。

この違いは何かと考えたら、簡単なことだった。
要は、丁寧すぎるテキストは、担当教員がそれに拘束されるために、講義しやすくなるどころか、講義しにくくなるのである。

そこで、その教員に次のような返答を書いた:

このテキストには、毎回の講義内容(教員用台本含む)時間などが明確にされています。しかし、この親切さがかえって担当者には「この通り進めるのは難しい」と思われているのではないでしょうか。

1.90分間の時間配分が細かいとその時間にとらわれてしまうことと、
2.台本が書いてあると、それを読んでしまうと、自分の講義ではないような気がすることです。

徹夜明けの頭で読み直すと、この二点に気づいた次第です。

なお、以前の報告で私が申し上げていることで、
1.教員の草の根からこの科目を立ち上げる場合には、教員の自主性は高いが、逆に講義内容のコアの統一性を確保することが難しい。
その一方で、トップダウンで設置された場合には、統一テキストができるが、それを実践することが難しい。
2.多くの教員は、同じ講義を複数の教員で担当することを好まない。その理由としては、自己裁量で講義を進めることができないからである

という二点があります。

その場合、
1.に対しては、テキストすべてを教えなくてもいいから、最低限教えるべきポイントを全員で確認すること。
2.に対しては、90分間の講義中、教員が自由裁量できる時間を作る。あるいは、15週の中で3〜4週。
などの対策が考えられます。

いずれにしても、自由度と統一性のトレードオフの関係をどのように維持するかです。

丁寧さがかえって、難しいという印象を与えるのだから、つくづく文章は難しいものだと思う。
それにしても、担当教員の反応をしっかりと受け取っていたからそう感じたのであって、そこから改善することはあまりない。

この大学ではどうするのかを見続けたい。