京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

「らくだ銀座」

ytsutsui2005-09-22

既に二週間も経過したのに、今さら山江村でおこなわれた市民メディア交流集会について書くのも気が引けるが、やはり書いておきたい。

私にとっても、この集会への参加は、ここ数年の出来事では一番印象深かった。
多くの方との出会いもあったし、山村で60〜70歳代の方々がテレビ番組制作に生き生きと活動されていることを見て、私も負けていられないと思った。
自分を叱咤激励し、新たな楽しみを提供してくれた機会でもあった。

その一つは、Podcastingであり、「ケロログ」の学術サイト(http://www.voiceblog.jp/car.php)では、ついに4位ランクされている。いまだにアクセスが増加しているのを見ると、このツールのおもしろさが広がっているのだと確信した。
(でも、これ以上のランクに上るためには、もっとコンテンツを考えないといけないが、その時には学生諸君も加わってくれるとうれしい。でも、やってくれるだろうか? 新しいことやトレンドの先を行く感覚にうといと、なかなかねえ。)

話を戻す。今日、書き留めておきたいと思ったことは、山江村で出会った二人の人たちである。
初日夜のバーベキューパーティーの途中で、ゲストの紹介があり、そこでいきなり大声で演説を始めた女性がいた。既に宴もたけなわで、三々五々小さな輪での話に夢中になっている時に、「ばらばらに話すのではなく、こっちを聞け!」と言うお達しである。いくら言っても状況が変わらないので、しかたなくそのまま話し続け、みんなが一つになって作り上げないといけないと力説していたような。
それを聞いていた私は、場違いな女性が声をどなりあげているなあ。それにしても、元気な姉さんだなあ、と半分感心した。その時はそれで終わった。

その後、二次会で宿舎の一室に集まった時にすぐ近くに座った。
私が来たときには、既に自己紹介がはじまっていたが、なにかギスギスしていた。言葉じりをめぐって言い争いが時々起こる。そんな時に、この二人は負けずに参戦する。最後には、かれら二人とその他大勢になったようだ。途中まで私なりに雰囲気を和らげようといろいろと努力したが、功を奏さず自室に退室した。隣で大声でやりあうのが聞こえながらも、もはやどうにもできなくて、私はPodcastingの作業をしていた。

後で二人から聞いたが、参加の打診や集会の運営方法について、誤解があったようだ。いまさらそれを言ってもどうしようもないことだが。

ただ、私にとっては、彼ら二人はなかなか頼もしく見えた。彼らは、市民メディアの関係者とはじめて会ったので、基礎的な事を知らない。だが、そんなことよりも、彼らは何か創り出すタイプに思えた。

二日目の懇親会では、二人とみっちりと話し合うことができた。要は、映画が好きで好きでたまらない二人が、過疎化の中で自信を失っている地方都市の人々を叱咤し、批判し、時には罵倒し、一時は離れつつある人々が再び集まりだし、最後に映画を自らの手で作っていくプロデュースを手がけているのである。まさに映画を地で行く
まったくのよそ者が入っていって、数ヶ月間で町の人と一緒に映画を作り上げてしまうとは驚いた。

「らくだ銀座」http://www.rakuda-ginza.com/や「恋まちねっと」http://homepage2.nifty.com/koimachi/などの作品を作っている。らくだ銀座とは、へんな題名だが、ある日商店街にらくだが歩く夢を見た、という設定からはじまる作品だ。

私は、この映画のコピーが気に入った。
    かつて元気だった「まち」には、「映画館」がありました

意気投合した二人に対して、私は、二つの挑戦をせよとお願いした。
一つは、今年の市民メディア集会へのお二人の登場は意味があったけど、まだ存在感を示せていない。ここで引くのではなく、次回の横浜大会でははっきり存在を示す企画をしてほしい。

もう一つは、市民メディアとお二人とは、まだ距離がある。つまり、あなた方が映画にこだわるあまり、映画だけで市民メディアに乗り込もうとしても理解を得られない。むしろ、コピーの言葉である、「映画館」ではなく、他の言葉に置き換えた企画がほしい。それを「市民メディア」に置き換えよとは言わないが、映画館と市民メディアとが限りなく近づけるような企画を考えてほしい。

こういう挑戦をすると、お二人は乗りやすい。けんかは買うタイプのようだ。それがわかったから言ってみたが、それにしても気持ちよく受けてくれた。この挑戦を実現してくれるかどうかはわからないが、それでも受け入れてくれたこと自体がうれしかった。

二人は、映画関係者である。一人は、映画監督の林弘樹さんといい、もう一人はプロデューサーの越後啓子さんという。映画監督にとって、いいプロシューサーを持つことが何よりも大切だと思うが、公私とものつながりはうらやましい。

しかし、かれらの力は、来年まで待つ必要はなかった。
翌日の全体会で山江村の人々を出演させた即席の映画を見て、彼らの実力の一端がわかったような気がする。

林さんに「精華大に呼んでくださいよ」と言われて、私は、「単に講義にゲストに来て頂くならば簡単だけど、どうせならもっと仕掛けがあるところで呼びたい」と答えた。

彼らに挑戦状を突きつけた私だが、自分自身にも挑戦状を突きつけてしまったようだ。
私も乗りやすいタイプなんだけど、大丈夫かなあ。