京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

高齢の書道教師の教授法

 私自身は、手書き文字が苦手なので習字とは無縁だが、最近習字を習い始めた知り合いから次の話を聞いた。
ある公共施設で開かれる書道教室に習いに行っているが、教師はなんと80歳過ぎの高齢者とのこと。年齢とは裏腹に、かくしゃくとしているし、教え方も非常にうまいそうだ。

どのようにうまいかというと、初心者が書いた作品でもまずいい部分を誉めてから、改善点を指摘する。しかも、必ず見本を教師自ら書いてみせるし、生徒の作品の改善点も朱筆で指摘した後、正しい見本を横に書くとのこと。初心者であっても、数ヶ月通うと少しずつうまくなってくるとやる気が出てくる。すると、生徒の意欲が高まった時を見計らって、教師は本格的に厳しくなってくるそうだ。これで、生徒はさらにうまくなるとのこと。

知り合いは、これまで何人かの教師に習ったそうだが、自ら見本を示しながら、丁寧に教えてくれる書道教師はまれである。しかも、参加費が一回2000円で、来た時だけ払うという格安で来やすい制度は、まさに生徒側から見たら願ってもない条件だし、また優秀な教師の見本そのものである。

経験を積むと、どうしても教師は、発表会や展覧会への出展などのより高度な技を身につけようとする。しかし、習いに来る生徒の多くが「手紙がきれいに書きたい」とか、「文章がきれいに書きたい」という、基礎的な技法を身につけたいという願望と距離ができてしまう。けれども、その書道教師は、手本そのものの字を書くために、生徒の要望にもぴったり合っているそうだ。教師自身も、高齢になっても若い人としっかりと対話できる環境にあることが楽しくてしようがないそうだ。そこには、野心も超えて、世代を超える教師の姿がある。

大学のユニーバーサル化が進行して、学習習慣が身に付いてないにもかかわらず、大学に入学してくる多数の大学生をどう教育するのかは、大学教育の死活問題である。にもかかわらず、初年次教育を担当する教員の多くは、これまで経験してこなかった学生を前にしてなかなか先が見えない状況が続いている。これは私自身にも言える。

高齢の書道教師から学ぶことはあまりにも大きい。