京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

映画『カーテンコール』試写会(大阪)

この映画の原案を三十年くらい前に書いた大阪・應典院主幹(住職のこと)の秋田光彦さんから招待チケットをいただいた。それで喜んで見に行った。
大阪・リサイタルホールの会場一杯に入った観客を前にして、『半落ち』で有名な佐々部清監督、主演の伊藤歩、共演の奥貫薫、井上尭之さんが舞台挨拶に来られていた。

舞台挨拶を勝手に撮影していいのかどうかわからなかったので、受付の方に聞いたら、記者証をくれたので、最前列で撮影できた。しかし、私の薄型デジカメを見て、周りのカメラマンが冷たい視線を注いでいた。そういうことはかまわず、ひたすら取りまくった。

秋田さんの原案は、大阪が舞台で、有名な幕間芸人についてのストーリーだったそうだが、佐々部監督は、それを監督の地元の下関に移して、そこに在日問題と新人記者の話を絡めたそうだ。幕間芸人にあこがれたOLが奥貫薫さんで、やがて結婚して、女の子をもうけた。しかし、映画の斜陽に相まって、妻も急死し、女の子とを残して幕間芸人役の藤井隆が故郷を去っていく。その足跡をたどって、済州島に行った新人記者が父親と娘を結びつける、というストーリーである。

いにしえの映画館が出てきた最初の場面からもう涙腺が活発に活動した。『ニュー・シネマ・パラダイス』の日本版ですから、これだけで弱い。しかも、幕間芸人が映画の浮沈と共に、登場し、退場していくところがさらに泣かせる。

私の思秋期には、既に歌謡曲大衆演劇よりも、ロードムービーやロックにあこがれたので、この映画に出てくる歌謡曲は半分懐メロのように聞いていたが、だからこそ情感を誘うのだろう。

映画終了後に、秋田さんや監督、俳優さんのインタビューを取りたいと思ったが、上映途中で別の場所に行っておられるとのことで、残念ながら音声は取れなかった。

代わりに、舞台挨拶の写真(http://www.kyoto-seika.ac.jp/tsutsui/friend/akita/index.html)と原案者の秋田さんの思いを以下に転載する。

 25年も前になるが、シナリオ修行していた時代、「幻のオルガニスト」というストーリーを書いたことがある。若かりし頃の佐々部監督にこれを話したのだが、彼はその物語をずっと覚えていてくれて、昨春、「映画にしたい」という申し出をもらった。原案は私が高校時代、大阪・千日前で目撃した幕間芸人が元になってはいるが、映画のシナリオは佐々部監督のオリジナルである。

 この映画には、私たち大人が語るべきことがたくさん込められている。佐々部監督の真骨頂である「家族愛」についてはもちろんだが、「昭和」とは何であったのか、差別や貧困、あるいは映画館という「場」を通して、その街独自の文化を考えるというふうに、ほんの半世紀前の時代を引用しながら、この映画は私たちの昭和生まれの「カーテンコール」を呼び起こす。

 私たちは銀幕にあこがれ、夢と希望をもらった昭和の世代である。希望がない時代と言われる平成の今、この映画から私たちは何かたいせつなものを伝えることができるかもしれない。満員の映画館でみんなで育んだ「希望」や「信頼」を、若い人たちへと語り継ぐことが、昭和を生きた私たち大人の責任ではないか、とも思う。

 昭和から平成。私たちの時代とじっくり向き合うことのできる映画の誕生を素直に喜びたい。