京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

まとめと仕込みの時期

ytsutsui2006-02-18

普段できるだけ風邪を悪化させないようにしている。学生には「これさえできればもう人生の一人前」と言っているのだが、本人が数日前に悪化させてしまった。幸い講義期間が終了したので、学生に及ぶことは最低限に抑えられたのが不幸中の幸いだった。悪化させないで仕事ができるすばらしい仕事師達を知っているので、まだまだ未熟だと思う。

卒論査読、期末試験の成績、来年度の講義シラバス作成などが重なりつつ、新しい研究依頼もいくつかいただけそうだ。そのうちの一つは、かつての研究パートナーとの「リユニオン(再会)」となりそうなのだが、他の方に比べて私の得意分野とは一体何だろうかと迷っている。たしかに「大学教育、メディア、NPO、インターネット教育」が私の専門分野だ、といつも言っているのだが、一つの分野における自分の立ち位置の弱さを痛感する。ご迷惑をかけないように、新しい試みに挑戦したい。他にもいろいろ話が舞い込んできているが、それはまた形になり始めたところで紹介する。


来年度の授業体制についても、関係者と前向きの協議に加わらせて頂いているので、以前とは比べものにならないほどやりがいがある。来年度のある関連講義について、さらに仕掛けたいと思っている。初めは過去のこともあり、側面支援程度で行きたかったが、どうせ前向きに考えるならばいつまでも側面でとどまることもできない。そこで、こちらも腹をくくって議論に入っていくと、次々に話が展開していき、どんどん話が大きくなってくる。するとまた面白くなってくる。正の連鎖のすばらしさだ。


「もしうまくいったら」を考えないでおこうと思ってもどうしても考えてしまう。ついには、ある評判だった非常勤講師の方をなんとか口説こうとしている。この方の期限は終了したのだが、それを越えるだけの価値があると判断したからだ。幸い他の方も賛同してくれているのが心強い。これに学生のパワーも絡ませようとしたのだが、これはうまく行かなかった。

しかし、いずれしても、彼に書くメールでは、私の心を込めた気持ちが自然に文字に変わっていった。文章や文字に力があるのは、それは作者の気持ちが籠もっているときである。相手の姿形を思い浮かべ、彼の講義を想像し、彼の職場の状況と彼の予定もすべて私が書いた文章の中に含ませたつもりだ。

ことばは無力の時も多々あるが、私は逆を信じて書いていたい。この程度のことを書くのに大げさすぎるかもしれない。しかし、大げさであっても、今、この時に、私が生きて、他の人間とのつながりを表現することができずには、何も進めないと思っている。


こういうタイプの人間は、やはり「読む」や「読み解く」ではなく、「伝える」か「つながる」なんだと思う。

「話す」「書く」「伝える(つながる)」だったら、新しいことができそうな気がするのだが、バランスの悪さが気になる。でも、それだと私の気持ちとしてはすっきりする。


詳しくはまた決まってからお伝えするが、年度末のまとめと、新年度の教育研究の仕込みの真っ最中である。ここまで書いて、実は微調整して提出すべき原稿を送っていないことに気づいた。「共有することば」という思い入れのあるタイトルを泣く泣く変更することになるので知らず知らずのうちに遅れていたのだった。でも、いつの日かの「リユニオン」を期待して。もうこれはあきらめることにしよう。