京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

書くように話してみよう

 先週末は、春の学会報告用予稿集原稿二本と、共著本の企画書の原稿を仕上げた。まだもう一本残っているけど、なんとか山を越えた。文章を書くのは、主張するコンセプトさえ明確であれば比較的早く書けるようになった。しかし、話し言葉はまだまだだ。


 まもなく出る編著本では、原稿執筆とともに、座談会もおこなわれた。原稿は問題なく書けたし、2月に行われた対談も楽しかった。しかし、対談のテープ起こし原稿を見たらとても読ませる言葉になっていなかった。同じ修飾語が多用されたり、回りくどい言い回し、言い直しが鼻を突く。


論旨を直すつもりがないにしても、表現は大幅に直しが必要だ。出版社にご迷惑をおかけすることになる。ただし、座談会の他のメンバーがいいので、気楽に話をさせてもらい、それなりに意味のある話をしている。不幸中の幸いである。読者にとっては、出版前のことは関係ないので、その点は助かる。


しかし、今後座談会や対談がある時のことを想定して、話し方を工夫をしないといけない。今日は、卒論の個人面談であるが、自分が話す言葉を反芻しながら、無駄な表現をなくすようにしてみた。少し窮屈だが、しばらくの間、書くように話すことを心がけよう。


ここまで書いてから、座談会の音声を聞いた。自分の発言を音声で聞いたが、聞いてもそんなに聞き苦しくない。もちろん、自己弁護的な部分はあると思うが、それにしても文字で読むほど違和感はない。書き言葉と話し言葉の違いと改めて実感した次第だ。


さらに、今夜、ラジオカフェで五月例会のリハーサルをした。
これまで講演会形式が主で、ワークショップ形式は初めてなので、リハーサルにも力が入る。司会者は、ワークショップの専門家だが、ラジオのDJは初めての体験だ。しかし、うまい。なによりも、展開が早いし、言いよどみがないので、聞いていても疲れない。ここまですごいレベルのしゃべりを聞くと、座談会での自分のしゃべりの不十分さを痛感する。


話し言葉一つで、安心したり、落胆したりを繰り返しを経験した日であった。
このワークショップの模様は五月例会の後に発信する。