京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

ジャズ、ジャーナリズム、古き良きアメリカ

 1950年代の米国は、矛盾を抱えながらも、それ自体に魅力がある。たまたま同時代の映画を二本見た。
一つは、現在封切り中の『グッドナイト&グッドラック』(ジョージ・クルーニー監督)で、もう一本は、昨年のアカデミー賞を受賞した『ray』(テイラー・ハックフォード監督)である。

グッドナイト&グッドラック 豪華版 [DVD]

グッドナイト&グッドラック 豪華版 [DVD]

Ray / レイ [DVD]

Ray / レイ [DVD]

前者は、50年代のCBSテレビの報道番組『See It Now』のアンカーマンエド・マローが主人公で、映画の題名は、番組の最後にマローが言う挨拶である。当時は、マッカーシー上院議員によるアカ狩りの最中である。政治家にとどまらず、芸術家、学者、マスメディアのリベラルな人間を共産主義者とレッテル張りして、彼らを社会から追放する一大キャンペーンを展開していた。なかには勇気ある人は、彼に挑みかかろうとするが、次々と追放され、中には自殺を余儀なくされた。


彼に標的にされることを恐れて、自らの信条を曲げても屈服することを余儀なくされていた時代である。当時、ソ連核兵器開発に乗り出し、中国でも社会主義革命が起こって、米国では共産主義への恐怖感が広がった。


こうした状況でマスメディアも沈黙を余儀なくされていた時代にマローなどはマッカーシーへの批判を展開した。当初は、彼を支持していた会社もやがてマローに圧力をかけようとする。当たり前のことであるが、当時からエンターテインメントや娯楽番組は、制作費が安いわりに視聴率が取れる一方で、報道番組は制作費がかかりながらも視聴率が取れないというジレンマを抱えていた。こうした中で番組を継続することの難しさが語られる。


確かにジャーナリズムの重要さをよく描ききっているし、外部からの圧力、放送局における経営と編集の対立、社内での軋轢なども提示して、正義の味方を描くよりも、むしろ矛盾を抱えながらもジャーナリズムを模索する姿を追っているところがいい。また、ジャズ全盛の時代の雰囲気を白黒画面で再現したり、番組の終わりには、マローは視線をカメラから外しながら、挨拶するという構図は、今ではまず使わない手法であるが、ダンディーな雰囲気にはぴったりの演出である。たしかに視聴率や制作費の問題もありつつも、ジャーナリズムがメディアの定番としての確固たる地位を築いていることがわかる。


もう一本の映画『Ray』は、レイ・チャールズの伝記的な作品である。


幼くして視力を失って以後、母親の厳しい励ましと彼の耳のよさが相まって、視力の代わりに、音を聞き分けることで、周囲の状況を読み取ることで自立して生きていこうとする。幼年期のつらい思い出から逃れようと麻薬におぼれたり、艶福家らしい側面を見せながらも、教会音楽であったゴスペルと、大衆音楽であったリズム&ブルースとを結びつけて、新しい音楽領域を開拓していった。ジャズが若者の心をとらえ、そこに挑み続けた彼の音楽的な才能を余すところなく描いている。レイの生まれ変わりかと思うほどの、ジェイミー・フォックスの好演なしにはこの映画は生まれなかったであろう。危うさを抱えながらも、その危うさをバネにして、音楽創造に浸りきる姿は、ジャズに限らず、当時の世相自体を現している。


以上、二本の映画を見て、1950年代のジャーナリズムとジャズの生き生きとした姿は、米国内の差別と繁栄、冷戦時代、古き良きアメリカと二重写しになる。われわれが生きている21世紀は、当然ながら当時の課題を克服しながら現在に至っているはずなのだが、実は未解決のまま今日に至っている。


だからこそ当時の偉業は、今日もなお振り返る価値があるのだ。