京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

藤巻組は、スーパーミーハーー200分以上話しても、学生をとらえてはなさない

話し続ける授業は、受講生の意欲を減退させ、ひいては学生の理解力が落ちるものだ。一般論としては、その通りだが、実は何分話しても学生の理解力が落ちないどころか、ますます上り詰める授業を初めて体験した。

「クリエイティブの可能性1」最後の授業ゲストは、元伊勢丹カリスマバイヤー藤巻幸夫さんの弟子であり、ファッション、音楽、カフェ、アート、デザインなどの空間をブランディングする中村貞裕さんであった。


彼は、小さい時から流行物にはいち早く手を染めても、すぐに辞めてしまい、何事にも徹することができないことに不安感を持ちつづけていた。ただ、昔から人を集めたり、人的なつながりの広さがあったのだが、ある時、それが最大の財産だと言うことを認識して以来、自分に対する自信へと変わったとのこと。


その人生と仕事とを授業中で語ってくれたのだが、彼は身振り手振りもほとんどなく、ひたすら話し続けるスタイルだ。しかも、途中休憩をはさんでも約200分間話し続けた。


前回の徳田祐司さんもかなり語る人だが、それは作品を題材にしながら語るので、常に話し続けているわけではない。しかし、中村さんは、アシスタントがスクリーンに参考写真を写してくれるが、それがなくてもひたすら話し続けられる人である。


話すことで自分のこれまでの仕事を再認識して、そこからまた新たな展開を生み出していくことを楽しみにしているのがよくわかる。しかも、受講生もそれに引き込まれていき、そしてそれが継続するのだ。


確かにテーマが若者が好きなテーマばかりであることは重要だが、それを超えて、中村さんが語る価値観や行動が、誰しもやれそうで、なかなかできないことを平然と試みられることへの共感である。


学生には、
「私が好きなことなのに、私と違って、どうしてそんなに仲間を引きつけて、楽しさを提供できるの?」という疑問を抱かせながら、それを次々と解き明かしていく探偵のような話をする。


私が彼の生き方に共感したのは、一つのことに秀でなくても、多くのことをつなぎながら、全体としてジェネラリストの特性を前に出すことである。


実は、私は、一専門分野で秀でることを断念し、複数の分野で二流の仕事をすることを目指している。これは、学者の常識からすると、かっこ悪い。でも、複数の分野でそこそこのことをできることは、大変重要なことだと思っている。そう思っていたので、中村さんのポリシーは実にしっくりきたのだった。もちろん、中村さんほどではないにしても、流れは似ている。


語ることで、いや、語る材料を見つけるために、人に会い、新しいことへのどん欲な関心を持ち続ける姿勢は、私にとっても、また、学生諸君にも大きなインパクトを与えた。


授業後の食事会では、中村さんを取り囲む学生の数がますます増えていったのだった。

以下が、彼の授業風景の一端である。

更に、授業写真である。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/tsutsui/education/junya/nakamura/index.html