京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

マエキタミヤコさんと会いました。

山形に行く直前の10月4日学科講演会で、マエキタミヤコさんがお話しされた。テーマは、「環境と貧困とマスメディアと国民運動」で実に骨太の内容である。広告業界の方なので、理論的な話しではなく、広告と社会的課題との関係を話されるのかと思っていた。しかし、回りくどい話しではなく、現在、世界が直面している環境、貧困、そしてマスメディアが構造的な問題を抱えていることを正攻法で話された。戦後日本の公益と市民を中心とした歴史的変遷、国民運動と市民運動の相違、日本のアフガニスタン支援問題、マスメディアとオルタナティブメディアの相違など、人文学部の授業で話す内容を概観してもらったようなものである。もちろん、大学の授業であることと、NGO関係者としての発言という視点からお話しをされたのだと思う。


大学教員として、私が学生に同じ内容を話すとすれば、いつもの話し、と受け取られるだろう。しかし、マエキタさんが話すと、まったく違う。もちろん、大学側のシステムの不具合のため、せっかく作ったプレゼンスライドの文字が見にくいために、後ろの受講生には見えにくかったと思う。このトラブルに関しては、誠に申し訳ないと思う。それがなければ、もっと多くの学生が引き付けられただろう。


時間を超過してまでみっちり話してくれた彼女の話がどれだけ反響があったのかは、授業終了後に、質問に来る学生の数でだいたいわかる。次の予定があったので短時間しか話せないと言ったら、サステナのデザイナーが気を利かせてくれて、二次会の準備をしてくれた。私は、夜行バスで山形に行かないといけなかったので、欠席したが、彼らはきっといい時間を過ごしたのだろう。


午後2時過ぎから午後9時までという短時間しかお会いしなかったが、時間の短さよりも、気持ちのつながりの強さを感じた。もちろん、彼女が考えていることは、地球規模のことだ。その一方で、ペットとの戯れや木々の変化に浸りきっている自宅での生活も欠かさない。


彼女のアイデアにこちらが即断できないもどかしさを感じながらも、でも、これは将来からのプレゼントだと思えば、意欲もわいてくるもんだ。スタッフに対する包み込むような対応を見ていると、彼女の思いはもっとはるかから来ているのだと思えてくる。


名残惜しさを残しながら早退したことは、今度会うときには、きっともっと楽しい時間が過ごせるのだと思っている。