京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

「おくりびと」と青木新門さん

納棺夫日記 (文春文庫)

納棺夫日記 (文春文庫)

私は、何事も早めに知り合いになるのを得意にしているのだが、そういうチャンスがありながらも、親しくならなかった人が二人いる。


一人は、i-modeのリーダであった松永真理さんである。i-modeが1999年2月に発売になり、私は、同年9月に学会のセミナーでお会いしている。彼女の発表後、軽井沢のホテルで深夜までみんなといたのだが、直接話さなかった。理由は、携帯メールがあまり好きじゃなかったから。今から考えると、偏見で物事をとらえていて失敗したと思う。


もう一人は、青木新門さんである。彼とは、私が富山にいた時に、何度となく会っている。彼は、詩人なので、彼と親しい友人もたくさんいた。富山には、街の仕掛け人や文化人が集まるバーや会合があって、私もその仲間に入れてもらっていた。青木さんは、カラオケが好きで、歌い出すと、止まらない。早稲田大学卒の文化人らしくシャンソンや外国の歌が大好きだった。彼が冠婚葬祭会社の重役であることは知っていた。救急車ではなく、民間企業による福祉車両で老人や負傷者を送る事業を始めようとしていて、行政の前例主義や四角四面の対応をなんとかクリアして、事業を始めたことも聞いていた。また、この会社は、近年は、ホテル事業にも乗り出していて、他府県にも広がっている。もっとも、京都にあるホテルはもう一つだけど。


その青木さんが、1993年に『納棺夫日記』桂書房から出されたことも富山で聞いていた。地元出版社「桂書房」の社主は、知り合いであり、彼の話を聞いていた。この本が、やがて全国的な話題になるにつれて、文藝春秋から発売されるにいたって、不動の地位を得た。この原作は、マンガにもなっている。精華大学マンガ学部の教員である漫画家のさそうあきらさんがマンガ『おくりびと』を書いている。さそうさんは、二年前に大学付近で殺害された学生の犯人逮捕のために、冊子を作っている。


話を戻そう。青木さんの近くにいながらも、ならなかった理由ははっきりしている。彼は、人格的にもすぐれているのであるが、なんとなく職業に対する偏見があったのだと思う。本当に惜しいことをした。


先日、映画『おくりびと』を見た。封切り上映中は、京都メディフェスの最中でとても行ける余裕がなかったのだが、先日、ふと映画に行こうと思ったら、また上映されていることを知って、見た。アカデミー賞ノミネートのおかげだ。


親の介護を経験していると、この映画が実に違和感なく見られた。死にいたる最後の局面での人間を見ていると、その死と人生が見えてくる。介護でも葬儀でも、親族や知り合いの情だけで抱えるにはあまりにも重すぎる。もちろん、以前はすべてこれらは親族が負担していたのだが、もう親族にはその余力が残っていない。それは、どの家でも同じだろう。そこで、全体の流れをプロフェッショナルにまかせて、医療や葬儀を運営してもらい、親族はその流れの中に乗ることしかないのではないかと思う。プロフェッショナルに求められるのは、愛情ではなく、金銭を媒介とした冷静かつ、専門的な仕事ぶりである。それだからこそ親族は感謝をし、かつ涙するのである。


「プロフェッショナルに求められるのは、愛情ではなく、金銭を媒介とした、冷静かつ、専門的な仕事ぶりである」とすれば、他の職業にも広げられるのではないか。ファシリテーションでも、実は同じ事をしている。クライアントに対して、ファシリテーターは、同情や共感を元に動くことはしない。むしろ、クライアントにあわせながらも、実は、かなり冷静で、専門的な仕事を求められているのである。


おくりびと」から、青木新門さんへ、そこから、親を経て、最後は自分に戻ってきた流れができて、自分の置かれている位置が明確になった。社会の中で、自分を内からと、外からの両方で見られると、現状がどうあれ、気持ちがすっきりする。次への活力が沸いてくる気がする。