京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

第15回 『みんなの滋賀新聞』誕生~「県民による地元新聞の創刊」はいかになされたか~ 二反田隆治さん

第15回公開月例会
『みんなの滋賀新聞』誕生~「県民による地元新聞の創刊」はいかになされたか~

●日時●
2005年9月5日(月)午後7時~9時(開場 午後6時30分)
※月例会後、引き続き懇親会(二次会)を予定しています(午後10時30分終了)
●場所●
京都三条ラジオカフェ店舗(三条通御幸町角1928ビル1階)
●お話●
二反田隆治(にたんだ りゅうじ)さん 
現在、みんなの滋賀新聞(株式会社 みんなで作る新聞社)取締役・編集局長。シンクタンク「地域計画研究所」滋賀県所長として赴任以来、琵琶湖発の情報発信と人的ネットワーク活動に関わる。湖国初のFM局「エフエム滋賀」の開局に尽力。

2005年4月、念願の創刊を迎えた『みんなの滋賀新聞』。「県民による地元新聞の創刊」はなぜ、そしていかに行なわれたのか。創刊から4ヶ月あまり経った現在の状況、今後目指す方向性などともあわせてお話しいただく予定です。

 

二反田隆治さんには「みんなの滋賀新聞」の顛末をご紹介頂きました。この会の数ヵ月後に「みんなの滋賀新聞」は閉じてしまいますが、そうした時期にお話し頂けたことに今でも感謝しています。 いろいろな取り組みには失敗もあります。「京都三条ラジオカフェ」も必死で耐えていた時期でしたから、私は彼のお話しを誰よりも特別な思いで聞いていました。何とか残す秘策を考えながら…。(福井文雄)

 

 

全国で唯一「県域新聞」が存在しない県といわれてきた滋賀県で、2005年4月29日、歴史的な「みんなの滋賀新聞」が発刊された。しかし、半年もたたない同年9月17日に最終号が出されて、県民の期待を担った滋賀新聞は、はかない生命を閉じた。この例会のゲスト・スピーカーは、編集長で取締役だった二反田隆治さん。「みんなの滋賀新聞」の廃刊を目前にして、この間のいきさつや苦闘を語った。 1979年の「滋賀日々新聞」廃刊以来、本格的な県域紙のなかった滋賀県では同県の経済同友会などが中心になって、“県民による新しい県域紙”の創刊を具体化させた。地域ジャーナリズムをめざす若い人たちや、コミュニティメディアを研究する学生なども支援のボランティアに入っていた。しかし当初から経営状態は悪く、また滋賀県での売り上げの減少を危惧する京都新聞、中日新聞が「滋賀県版」を大幅に増やすなど露骨な対抗策を取ったこと、全国紙の“圧力”などで共同通信に加盟できず、他紙と併読しなくては全国ニュースを入手できなかったことなどが、定着に失敗した原因だともと指摘された。なお二反田氏は2012年現在「エフエム滋賀」の社長をしている。        (津田正夫)